ベンフィカ3-1レフ・ポズナン観戦記。プレスティアーニの突破と、旗のないゴール裏
混み合うショップ、警察に誘導されるレフのサポーター、そして旗や太鼓のないゴール裏。リスボンのヨーロッパリーグで見た3-1の勝利と、20歳のプレスティアーニの可能性。ベンフィカの歴史や人気の背景もたどる。
- スタジアム
- エスタディオ・ダ・ルス(リスボン、ポルトガル)
ベンフィカのショップは、人でごった返していた。
ところがスタジアムに入ると、ゴール裏には目立つ空席があり、横断幕や旗が見えない。太鼓の音も聞こえない。外で感じた人気の大きさと、客席の少し寂しい風景。その差が、まず印象に残った。
2026年11月5日、リスボンのエスタディオ・ダ・ルスで観た、ベンフィカ対レフ・ポズナン。ヨーロッパリーグの試合は3-1でベンフィカが勝った。
結果だけ見れば順当な勝利だけれど、客席で観ていた僕には「もっと楽に勝てたはずなのに」という思いも残った。何度も仕掛けるプレスティアーニにはわくわくしたし、一方で、せっかく2-0にした後の失点には思わず力が抜けた。
この日のルスでは、試合の内容も、応援の風景も、気になることがいくつもあった。
僕にとって、ベンフィカはポルトガルのジャイアンツ
僕はFCポルトのソシオだ。でも、ポルトガルのサッカーそのものが好きなので、ベンフィカやスポルティングも観に行く。
日本の野球にたとえると、僕にとってベンフィカは読売ジャイアンツ、ポルトは阪神タイガースのような存在だ。首都を本拠地に全国にファンを持つベンフィカと、そこへの対抗心を強く感じるポルト。もちろん歴史も制度も違うけれど、両方のホームに座ったときの感覚を、日本の人に伝えるならこのたとえが近い。
ベンフィカの出発点は、1904年2月28日。リスボンのベレンにあるフランコ薬局で、前身のSport Lisboaが生まれた。1908年にSport Clube de Benficaと合併し、現在のSport Lisboa e Benficaという名前になった。薬局で始まったクラブが、120年以上をかけて、これだけの人を集める存在になっている。クラブ公式の創設史、1908年の合併について
「ポルトガルの国民の半分がファン」と言われるほど人気がある。数字を挙げると、2019年のIntercampus調査を伝えたObservadorでは、18歳以上の回答者の46%がベンフィカを支持していた。現在の全国民の過半数という意味ではないけれど、このクラブの支持の厚さが分かる。2019年の調査報道
その人気を考えるときに面白いのが、各地にある「カーザ・ベンフィカ」という交流拠点だ。たとえば中部のペナコヴァでは、試合へ行く遠征、食事会、ビリヤードなどを通じて人が集まっている。リスボンから離れていても、ベンフィカを好きな人たちと日常的に会える場所がある。ペナコヴァのカーザを紹介したクラブ公式記事
強いから好きになる。そして好きになった後には、一緒に応援し、一緒に出かける人ができる。こういうつながりも、ベンフィカの人気が長く続く理由の一つなのだろうと僕は思う。
欧州で二度頂点に立ち、いまもビッグクラブを倒す
実力の面でも、ベンフィカは欧州の名門だ。チャンピオンズリーグの前身、欧州チャンピオンズカップを1960/61、1961/62と連覇。近年も2021/22、2022/23にはチャンピオンズリーグのベスト8に入っている。UEFAの大会成績
ここ数年だけでも、こんな勝利がある。
- 2024年10月、アトレティコ・マドリードに4-0。 チャンピオンズリーグのルスでの試合だった。UEFA公式記録
- 2025年6月、バイエルンに1-0。 クラブワールドカップのグループステージで勝利した。FIFAの試合報告
- 2026年1月、レアル・マドリードに4-2。 チャンピオンズリーグのリーグフェーズでの勝利だ。UEFAの結果一覧
世界的なビッグクラブと渡り合い、実際に倒す力を持っている。ポルトガルまで観に来る面白さは、そういうチームのホームを体験できることにもある。
日本との接点なら、GKの小久保玲央ブライアンを思い浮かべる人もいるだろう。2019年から2024年までベンフィカに在籍し、U23やBチームで経験を積んだ後、2023/24にはトップチームの一員になった。育成からトップへつながる道を、日本人選手も歩いている。小久保の移籍時のクラブ公式発表
記念スカーフを買って、警察に誘導されるレフの集団を見送る
今回は、近くのショッピングモールの駐車場に車を停めた。
ベンフィカのショップは大人気で、人がびっしり。僕もこの日の対戦名、ベンフィカ対レフ・ポズナンが入った記念スカーフを買った。応援用のマフラーは、その試合を観に来た記念としてちょうどいい。
スタジアムの外では、レフのサポーターが警察に守られるようにして歩いていた。彼らがスタジアムへ入るまで道が封鎖され、僕たちは反対側へ渡れずに待つことになった。
僕が見た範囲では、ヤジを飛ばしたり、相手を挑発したりする人はいなかった。それでも、あちこちに警察車両がある。揉め事が起きているわけではないのに、かなり物々しい。
レフの公式案内を見ると、この日の遠征は約2,300人を見込んでいた。地元警察の要請に沿って、市内のコメルシオ広場に集合し、地下鉄を使ってスタジアムへ移動、グループごとに入場する計画だった。レフ・ポズナン公式の当日案内
客席に入ってから見ると、アウェー席には網が張られていて、その区画にレフのサポーターがぎっしり入っていた。人数の迫力もあるけれど、試合が始まってからは、それ以上に声の大きさに驚かされることになる。
イギリスから来た3人も、ルスに興奮していた
スタジアムでは、イギリスから来た若者3人組に写真を撮ってほしいと頼まれた。
3人ともベンフィカのユニフォームを着ている。スタジアムを見て、すごい、素晴らしいといった感じで、かなり興奮していた。僕は彼らの写真を撮りながら、サッカーの母国から来た人にとっても、ここはそういう場所なんだなと思った。
場内の売店では、今度はベンフィカを応援するための黒いスカーフを見つけた。これがかっこよくて、10ユーロで購入。結局この日、対戦記念のものと、クラブのものと、二本買うことになった。
寒い季節の欧州観戦なら、現地でスカーフを買うのはおすすめだ。首元を暖かくできるし、普通の服に巻くだけでも、どちらを応援しているのかが伝わる。観戦の後にも、持ち帰れるものが残る。
旗のないゴール裏に響いた、サポーターの肉声
ただ、この日の応援には、少し物足りなさもあった。
ゴール裏には空席が目立ち、ウルトラスの横断幕や大きな旗が見当たらなかった。太鼓などの楽器もない。僕の席に届いていたのは、チャント、応援歌、手拍子が中心だった。
ベンフィカは試合当日の11月5日、サポーターに責任ある応援を求める声明を出していた。クラブの説明では、UEFAの執行猶予付き処分を受けており、火薬類の使用などがあれば、次の欧州アウェー戦でベンフィカのサポーターが入場できなくなる可能性があるという。ベンフィカ公式の呼びかけ
ただし、声明が注意を促していたのは、今後のアウェー観戦への影響だ。当日のルスのゴール裏を閉鎖する発表ではなく、空席や旗の不在の理由までは、この声明からは分からない。
レフの側にも、この日僕が見た範囲では、楽器や大きな横断幕はなかった。それでも、声はとにかく大きい。ベンフィカのホームなのに、レフの応援の方がよく聞こえる時間があった。
ベンフィカの名前を、スタジアム全体で呼ぶ場面もあった。音を引っ張る太鼓がなくても、あちこちの席から声が重なっていく。にぎやかなゴール裏を期待していた僕には寂しさもあったけれど、その分、両方のサポーターの肉声がよく聞こえる夜でもあった。
キックオフ前には、ここでもヘスス・デ・ミゲルへの黙祷が行われた。テネリフェで亡くなった選手を悼む時間は、前夜のドラガンに続いて、リスボンでも共有されていた。ベンフィカ公式の試合記録
早々に先制したのに、なかなか楽にならない
試合が始まると、やはりスピードに目が行く。
僕がJリーグを観ているときの感覚と比べて、この日は展開が速く、相手への寄せも激しく感じた。ただ、体をぶつける強さばかりが目立つというより、次の場所へ動く速さ、攻守が変わる速さの方が印象的だった。
ベンフィカは開始6分、ラファが先制した。これだけ早く点が入れば、あとは勢いに乗っていけそうに見える。
ところが、そこからがすっきりしない。コンビネーションが噛み合わなかったり、最後のシュートが決まらなかったりする。攻めるところまでは行くのに、スコアが離れない。観ている側としては、だんだんもどかしくなってくる。
得点の流れは、こうだった。
| 時間 | 得点者 | スコア |
|---|---|---|
| 6分 | ラファ | ベンフィカが1-0と先制 |
| 67分 | プレスティアーニ | ベンフィカが2-0に広げる |
| 73分 | ベングトソン | レフが1点を返し、2-1 |
| 90分 | スダコフ | ベンフィカが3-1で突き放す |
プレスティアーニが入ると、左サイドを見るのが楽しくなった
この日の僕の注目選手は、ジャンルカ・プレスティアーニだ。
最初から出ていたわけではない。62分にラファと交代して入ると、左サイドから何度も仕掛けていく。そして67分、スダコフから左で受け、ジョエル・ペレイラをかわして、左足で追加点を決めた。ベンフィカ公式の試合記録
アルゼンチン出身で、2006年1月31日生まれの20歳。背番号は25、身長166センチ、利き足は右だ。小柄な右利きの選手が、左から入って、この場面では左足で決めた。ベンフィカ公式プロフィール
2024年1月、18歳になった日に、アルゼンチンのベレス・サルスフィエルドからベンフィカへの加入が発表された。欧州へ渡ってきた若い才能が、いまルスで試合を動かしている。加入時の公式発表
自分で仕掛けて、相手を動かして、シュートまで行く。僕が面白いと感じたのは、その積極性だった。周りとうまくつながるのを待つだけではなく、自分のところから局面を変えようとする。試合が少しもどかしくなっていたところに、彼の突破が入ってくるから、余計に目を引いたのだと思う。
僕は、これから世界的な選手になっていくんじゃないかと感じた。
レアル・マドリードのアルダ・ギュレルや、バルセロナのラミン・ヤマルとは、持ち味もプレースタイルも違う。それでも僕には、あの二人に並ぶような才能に見えた。ボールを持ったときに、次に何をしてくれるのかを見たくなる。その期待が大きい。
日本ではまだ、ヤマルたちほど名前を聞く機会は多くないかもしれない。でも、一、二年のうちにプレミアリーグで観ることになっても、僕は驚かないと思う。それくらい先が楽しみになった。
現地のサッカー専門サイトzerozeroも、途中出場のプレスティアーニをこの試合の最も危険な存在と評価し、追加点の個人技を見どころに挙げていた。僕が席で感じた興奮には、現地の評を読んでうなずける部分があった。zerozeroの試合評
一方、翌日のA Bolaの分析で面白かったのは、守備への戻りにも目を向けていたことだ。左の最終ラインまで下がり、守備の人数を補う働きも指摘している。ドリブルだけを切り取ると見えにくい、チームの中での成長もある。A Bolaのプレスティアーニ評
本人は試合後、テンポの速い試合に途中から入る難しさに触れながら、得点で貢献できたことを喜び、チーム全体の働きを強調していた。すべての大会で優勝を目指す。その大きな目標と、一戦ずつ謙虚に進むという言葉が並んでいたのも、印象に残る。クラブ公式に掲載された試合後の談話
2-0からの失点には、客席もがっくり
プレスティアーニが決めて2-0。これでようやく落ち着けると思ったところで、ベンフィカは自分たちのミスから失点してしまう。
GKトルビンから短くつないだ後、バレネチェアが味方へ送ろうとしたパスを奪われ、ベングトソンに決められた。後ろからボールを動かす場面で、自分たちから相手に得点の入口を渡してしまった。A Bolaの試合評
守備陣の連携は大丈夫なのか、と言いたくなる失点だった。周囲のサポーターにも、怒るというより、呆れてしまうような反応が見えた。あれだけ追加点のチャンスがあったのに、こんな形でまた1点差になってしまう。
試合後のマルコ・シウバ監督の話を読むと、この時間帯については、自分の判断も振り返っていた。トマス・アラウジョを下げ、ジョアン・パリーニャをセンターバックに置いた交代について、次の日曜の試合を考えるのが早すぎ、チームにはもっと安定が必要だったかもしれないと認めている。Observadorに掲載された監督の談話
この日は直前のリーグ戦から先発を9人入れ替えていた。選手を休ませながら欧州の試合も勝つ。その難しさを踏まえると、僕が感じた連携のぎこちなさも、個々の選手の出来だけでは捉えきれない。Observadorの試合評
最後は90分にスダコフが決めて3-1。そこへパスを通したのは、失点に絡んだバレネチェアだった。ミスの後にもう一度、前を向いて勝利につながる仕事をした。レフ・ポズナン公式の試合記録
勝ちはした。ただ、僕には6-0でもおかしくない試合に見えた。それくらい、攻めた回数と実際に入った点の間に差を感じたし、もっと決められただろうというもどかしさが残った。
それでもベンフィカは、これでヨーロッパリーグ4戦4勝。内容に注文がつく夜にも、勝ち点を積み上げている。ポルトガルリーグ公式の結果報道
トレス・グランデスから観始める、ポルトガルのサッカー
ポルトガルでサッカーを観るなら、ベンフィカ、スポルティング、FCポルトというトレス・グランデスを起点に追ってみると、すごく楽しいと思う。
選手のレベルが高いだけでなく、どのクラブにも、そのクラブを応援してきた人たちの歴史がある。三つのホームを回ると、同じ国のサッカーなのに、自分に響くところが違う。
僕の場合は、サポーターの文化と闘争心がいちばんしっくり来たのがポルトで、それがソシオになる理由になった。前夜のポルト対ナポリ戦にも、その魅力を書いている。
でも、ルスのショップがあれだけ混んでいて、外国から来た若者たちがベンフィカのシャツを着て興奮しているのを見ると、このクラブが人を引きつける大きさもよく分かる。
この日は、応援の風景には少し寂しさがあり、試合にも注文をつけたくなるところがあった。それでも、プレスティアーニの突破を目の前で観られた。レフのサポーターの声の大きさには驚いたし、スタジアム全体のベンフィカのコールも聞けた。
次に彼の名前を大きなニュースで見ることがあったら、きっとこの3-1の夜を思い出すと思う。10ユーロで買った黒いスカーフと一緒に。