自由に生きるポルトガルFCポルトソシオサッカー文化日本代表

FCポルトのソシオになって考えた、「サッカーを文化にする」ということ

FCポルトの会員証が届いた。ポルトガル人の知人から返ってきたのは、歓迎と「これからはライバルだね」という言葉だった。ユニフォーム、カフェ、会長選挙、観客動員。現地で交わした会話と調査から、サッカーを日本の暮らしにもっと根づかせるには何が必要かを考える。

届いたFCポルトのソシオ会員証と案内状

FCポルトのソシオになった。会員証も届いた。

青と白のカードに、自分の顔写真が入っている。ソシオは、ポルトガル語でクラブの会員のことだ。好きなクラブの会員証が手元に来るのは、やっぱりうれしい。

このことをポルトガル人の知人に伝えると、こんな返事が来た。

「もう、ほとんどポルトガル人だね。これからはライバルだね」

歓迎されているのに、早速ライバルにされている。相手はベンフィカを応援している人で、もちろん笑いを交えたやり取りだ。でも僕は、その返事がかなり面白かった。

僕が伝えたのは「会員になった」という報告だった。相手にとってはそれが、「君はどちら側の人なのか」という話にもなっていた。

ここから、ずっと気になっていたことを考え始めた。

「サッカーを文化にする」って、具体的にはどういうことなんだろう。

僕は、日本代表にワールドカップで優勝してほしい

僕は小学生のときに「ドーハの悲劇」を見ていた世代だ。Jリーグも創設年からファンとして見てきた。ガンバ大阪のジュニアユースでもプレーしていた。それくらい、人生の中にずっとサッカーがある。

もちろん日本人として、日本の男子代表にはどんどん強くなってほしい。いつかワールドカップで優勝するところを見たい。本気でそう思っている。

代表をもっと強くするには、日本でもサッカーを文化にしなければいけない。そういう話を聞くことがある。言いたいことは分かる。でも、「文化にする」の中身は、意外と曖昧なままだ。

観客を増やすことなのか。子どもの競技人口を増やすことなのか。強いクラブをつくることなのか。代表戦をみんなで観ることなのか。

どれも関係はあると思う。ただ、ポルトガルの人と話していると、もう少し生活の奥にあるものを指している気がしてきた。

ユニフォームを着替えるだけのつもりだった

僕はFCポルトが好きだけれど、サッカー観戦そのものも好きだ。

リスボンでも、スポルティングの試合を何度か観に行った。知人には、ベンフィカの試合にも行く予定だと伝えた。スポルティングのホームなら緑と白を着て応援するし、ベンフィカのホームなら赤いユニフォームを着て応援したい。

その試合を、その場所の空気の中で楽しみたい。僕にとっては自然なことだった。

それで聞いてみた。ポルトのソシオがそうするのは、ポルトガルではタブーなのか、と。

返事は、「タブーじゃなくて、裏切りだね」。笑顔付きだった。

僕も負けじと、モウリーニョだって三つのクラブに関わっているじゃないか、と返した。すると、「君はモウリーニョじゃないでしょ。監督がクラブを変えるのは普通のこと」と切り返された。

そのとおりすぎて、笑ってしまった。

僕はユニフォームを、その日の観戦を楽しむためのものとして考えていた。相手の感覚では、そこに「自分は誰と喜び、誰と悔しがる人なのか」という意味も乗っている。布の色を替えるだけのつもりが、所属を替える話に聞こえる。

もちろん、一人との会話をポルトガル人全員の考え方にするつもりはない。この人とも、相手を脅したり責めたりするやり取りではなく、終始からかい合っていた。ただ、その冗談がすぐ通じるだけの前提があることに、僕は驚いた。

複数のクラブを好きになるにも、地図がある

面白いのは、「一つのクラブしか好きになってはいけない」という単純な話でもなかったことだ。

知人は、ポルトガル以外の国にも好きなクラブがある人は多い、と話していた。僕がスペインのベティスの会員でもあると伝えたときも、それは別の話だという反応だった。

また、地方では地元のクラブを応援しながら、ポルト、ベンフィカ、スポルティングという三強のどこかも応援する人がいる、と教えてくれた。

この話を聞いて、僕は支持するクラブの数だけでなく、クラブ同士の関係にも目を向けるようになった。同じ国で直接競い合う相手なのか。地元のクラブなのか。別の国で好きになったクラブなのか。応援の気持ちにも、いくつもの層がある。

僕は、観に行ける試合を増やすことには慣れてきた。でも、そこにいる人たちが何を長年大切にしてきたのかについては、まだ知らないことがたくさんある。

サッカーの話は、空港でも続いている

以前、ポルトガルの空港で、荷物に入っていたベンフィカのシャツを見たスタッフから、ベンフィカのファンなのかと聞かれたことがある。

僕は「ポルトガルのリーグ自体が好きなんです」と答えた。その話を知人にすると、うまくかわしたね、と笑われた。

スタジアムへ行く途中でも、サッカーの店に入ったときでもない。空港でシャツが見えただけで、会話が始まる。

さらに知人からは、ポルトガルのカフェで大きな試合を観たことがあるか、と聞かれた。このやり取りの時点では、僕はまだなかった。日本やほかのアジアの国ではバーで観たことがあるけれど、ポルトガルでは未経験だった。

一度、あの雰囲気を味わってみなよ、と勧められた。ビールの銘柄までクラブと結びつけて茶化され、カフェに集まる人たちが試合についてあれこれ言い合う話になった。

僕が惹かれたのは、観戦のための特別なイベントを一から用意しなくても、集まる場所と話題がすでにある、ということだ。

実際、クラブの活動を調べると、その話につながるものが見つかる。たとえばベンフィカの公式記事は、ペナコヴァにある「カーザ・ベンフィカ」を紹介している。本拠地から離れた町で、試合への遠征、食事会、ビリヤードなどを通じて会員が集まる場所だ。クラブの名前が、日常的に人が会う場所にもなっている。ベンフィカ公式:ペナコヴァの交流拠点

そのクラブを好きな人との関係は、試合がない日にも続く。サッカーが生活に根づくというのは、こういうことなのだと思う。

ソシオには、クラブを続けていく仕組みがある

会員証を受け取ったことをきっかけに、ソシオの仕組みも改めて調べてみた。

FCポルトでは、条件を満たした会員がクラブの選挙で投票する。2024年4月27日の会長選には、26,876人の会員が参加した。アンドレ・ヴィラス=ボアスが選ばれ、42年間続いたピント・ダ・コスタ会長の時代が終わった。クラブ公式の年次報告にも記録されている。FCポルト公式年次報告、25ページ

勝ち負けについて意見を言う人たちが、誰にクラブを託すのかについても意思を示す。応援の気持ちと、組織を続けるための手続きがつながっている。

ただし、ソシオになれば誰でも即座に投票できるわけではない。会員区分、継続期間、会費の納付などの条件があり、現行規約では原則としてSénior会員を連続1年継続した人に投票権がある。遠隔地向けのCorrespondente会員には投票権がない。僕がカードを受け取ったことだけから、今すぐ会長選に投票できるとは言えない。クラブ規約第26条、選挙規則第4条

また、クラブの会員になることと、プロサッカー事業を担うSADという会社の株式を持つことは別だ。「ソシオになったから、僕も会社の株主になった」という話ではない。クラブ会長選とSADの役員選任も、別の手続きとして行われている。FCポルトSAD公式報告、35ページ

僕がここで大事だと思ったのは、会員制度に、クラブとの関係を長く続けるための形があることだ。試合のチケットを買う。会費を納める。条件を満たせば、運営を誰に任せるかにも関わる。サッカーが好きだという気持ちを、継続した参加にしていく仕組みがある。

生まれたばかりの子にも、クラブとの関係が始まる

さらに印象的だったのが、FCポルトの会員向けポータルにある「Primeira Identidade」という仕組みだ。生まれたばかりの子どもを会員として迎えるためのプログラムで、ほかに新規入会や、離れていた会員が戻るための窓口もある。2025年のポータル開設を伝えたA Bola

赤ちゃん自身が、戦術や順位表を比較してクラブを選ぶわけではない。先に好きな人がいて、その人が子どもをクラブのある生活へ迎える。

そこには、僕が大人になってから外国のクラブを好きになるのとは違う時間の流れがある。本人が試合を理解するより前に、家族の会話や週末の予定の中にクラブがある。そうやって始まる関係もあるのだ。

もちろん、子どもが後から別のクラブを好きになる自由はあっていい。それでも、何世代にもわたって受け渡されるものがあることは分かる。

「サッカーを文化にする」という言葉が急に遠く感じられるのは、こういうところだ。施策を一つ始めたら、翌年には同じものができる、という時間の長さではない。

数字で見ると、観戦の密度にも差がある

生活の中にサッカーがあるという感覚を、数字でも確かめたくなった。

調べる中で見つけた2019年の比較記事では、ポルトガルの2017/18シーズンと、日本の2018年の1部リーグが比べられていた。掲載された観客数と人口を使って計算すると、こうなる。

比較項目 ポルトガル1部(2017/18) 日本・J1(2018)
年間の延べ入場者数 3,655,213人分 5,833,538人分
比較記事が用いた人口 約1,029万人 約1億2,680万人
人口100人当たりの年間入場回数 約35.5回 約4.6回

この条件では、人口当たりの入場回数は約7.7倍になる。日本のJ1の方が延べ入場者数そのものは多い。それでも人口に対して見ると、ポルトガルで繰り返されている現地観戦の量はかなり大きい。比較記事と使用された人口、ポルトガルの入場者数を確認できるLusaの報道、Jリーグ公式の年度別入場者数

ここで数えているのは、観戦した人の実人数ではなく、入場した回数だ。一人が10試合観れば10人分になる。「ポルトガル国民の35.5%がスタジアムに行った」という意味ではないし、この過去の比較をそのまま現在の差とも言えない。

ただ、同じ人が何度も通うことこそ、今回考えている文化の一部でもある。一度の大きなイベントに人が集まることと、年間を通して通い続けること。その両方を分けて見たい。

さらに、この数字には下部リーグや女子の試合、カフェでの観戦などは入っていない。これだけで国のサッカー文化を採点することはできないけれど、「人口が少ないから観客の総数も少ない」という見方だけでは見落とすものがある。

日本との距離を感じたのは、強さだけではない

こうして会話と制度と数字を並べてみると、僕がポルトガルで感じたものが少し整理できる。

好きなクラブが、その人を知るための話題になる。試合を一緒に観る場所がある。負けたときにも言い合える相手がいる。会員として支える仕組みがある。次の世代を迎える入口もある。

サッカーが生活の中に何度も登場する。いろいろな場所で、同じ人間関係や記憶に結びついている。

僕が「日本からすると、めちゃくちゃ遠いな」と感じたのは、この重なり方だ。代表がワールドカップで勝った日の熱量だけでは、同じものにはならない。クラブが優勝できなかった年にも、話が続く。好きな選手が移籍した後にも、通う理由が残る。その厚みがある。

でも、これは「日本にはサッカー文化がない」という意味ではない。僕自身、Jリーグが始まった頃から見てきて、ガンバの育成組織でサッカーをしていた。その時間をなかったことにはできない。

Jリーグの百年構想も、地域に根差すクラブを通じ、日常的にスポーツを楽しめる環境を目指してきた。サッカーだけを特別扱いする構想でもない。Jリーグ百年構想

具体例を一つ挙げるなら、モンテディオ山形には60歳以上の人たちが参加する「O-60モンテディオやまびこ」という活動がある。声を出す健康づくりや、スタジアムでの挨拶運動などを通じて、クラブとの関わりをつくっている。選手としてプレーする以外にも、自分の役割や仲間を持てる入口だ。モンテディオ山形の公式発表、Jリーグによる活動紹介

日本にも、すでにこうした場所を育てている人たちがいる。文化を育てるというのは、その積み重ねを広げていくことなのだと思う。

濃い文化の全部を、真似したいわけではない

欧州と一括りにしても、クラブの制度は同じではない。たとえばドイツには、原則として会員組織側に過半数の議決権を残す「50+1」のルールがある。ポルトのソシオ制度を、そのまま欧州共通の仕組みとして説明することはできない。ブンデスリーガ公式解説

応援のあり方も、濃ければ濃いほどいいとは思わない。

知人との「裏切りだね」というやり取りは楽しかった。その濃さを面白いと思う一方で、初めて観に来る人や、いろいろなクラブを楽しむ人にも、参加しやすい余地は残してほしい。

また、三強への支持が強い国の姿だけを見て、日本も同じような集中を目指すべきだとまでは言えない。全国のいろいろな町に、自分たちのクラブがある。その日本の良さも育てたい。

僕自身、これからもいろいろなクラブの試合を観たいと思っている。ポルトのソシオになったことと、その好奇心は両方持っていたい。そのうえで、隣にいる人がそのシャツを着る理由を、少しずつ知っていきたい。

ワールドカップのない週にも、続くものを

JFAの「約束2050」には、日本でワールドカップを開催して日本代表が優勝することと、サッカーに関わる仲間を1,000万人にすることが並んでいる。強くなることと、関わる人を増やすことを、両方の目標として掲げている。JFA:2005年宣言と約束2050

ソシオが増えれば、代表が自動的に強くなるわけではない。選手の育成、指導者、競争する環境など、強化には別に考えるべきことがある。

それでも、サッカーに関わり続ける人がいれば、試合を支える人、子どもに教える人、クラブにお金や時間を使う人も増えていく。その土台を、代表が強くなったときだけの盛り上がりに頼らずにつくれるか。僕はそこが大事だと思う。

そして、クラブを好きでいる時間は、将来のワールドカップ優勝のためだけにあるわけでもない。今週末に会う仲間がいる。負けて悔しい。勝ってうれしい。子どもに、自分が見てきた試合の話をする。それ自体が、人の生活を豊かにする。

僕は、日本代表がワールドカップで優勝する日を見たい。

同時に、ワールドカップのない週にも、近くのクラブの話をしている人がもっと増えてほしい。上手な子だけでなく、プレーしない人も、年を重ねた人も、サッカーを通じて居場所や楽しみを持てるようになってほしい。

知人が勧めてくれたカフェの雰囲気も、会員証だけでは分からないクラブとの関わりも、現地の人と話しながらもっと知っていきたい。

届いた会員証を見ながら思う。ポルトのことも、サッカーのことも、僕はまだまだ楽しめそうだ。