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土曜の朝11時、中島翔哉のいないポルティマンで「二つのポルティモネンセ」を考える

観客1,883人。中島翔哉を観に行ったらベンチ外だった。海辺の街の小さなスタジアムと、給料未払い・FIFAの登録禁止・破産申立て・同じ名前の二つのチーム。それでも土曜の朝に来る人たちの話。

写真は近日追加
リーガ・ポルトガル2 メウ・スーペル ・ 第4節2026-08-29 11:00
ポルティモネンセ
0 – 2
レイショエンス
スタジアム
ポルティマン・エスタディオ(エスタディオ・ムニシパル・デ・ポルティマン)(ポルティマン、ポルトガル)
観客数
1,883人(収容率37%)
熱狂度
★★☆☆☆

土曜の午前中にサッカーを観るという発想

ヨーロッパのサッカーは夜のものだと思っていた。金曜や土曜の夜、仕事を終えた人たちが集まって、ビールを片手に叫ぶ。それがサッカーの時間だ、と。

ところがポルトガルの2部リーグには、土曜の午前11時キックオフという枠がある。理由は単純で、テレビ中継の都合だ。1部の試合と時間をずらせば、放送枠が確保できる。だから小さなクラブは朝の太陽の下で試合をする。

僕が住んでいるオリャオンから、ポルティマンまでは車で1時間ほど。8月末のアルガルヴェは、朝9時の時点ですでに暑い。それでも「午前中に試合を観て、午後は海」という組み立てができるのは、この時間帯ならではだ。

この日は車で行った。オリャオンからA22を西へ、1時間ちょっと。土曜の朝のA22はガラガラで、窓を開けて走ると乾いた風が入ってくる。同行者はなし。

目当ては、中島翔哉だった。浦和を6月に契約満了で退団して、8月4日にポルティモネンセへの3度目の復帰が発表されていた。2017年に初めてポルトガルに来て、ここからポルトへ移った選手が、31歳で、2部の古巣に戻ってきた。日本人として、これは観ておきたい。

結論から書くと、中島はこの日、先発にもベンチにもいなかった。試合記録を見ると、11人の先発と12人のベンチのどこにも名前がない。8月14日の時点で「手続き上の理由でリーグに未登録」と地元紙が書いていて、入団会見が8月20日。つまり、まだ登録が間に合っていなかったのだと思う(理由を明示した報道は見つけられなかった)。中島のデビューは、1週間後の9月6日、レイリア戦。PKを外して、70分に交代した。

チケットは4日前に MEO Blueticket で買った。東スタンド(ナセンテ)の中央、A列52番。5ユーロ。手数料1.23ユーロを足して6.23ユーロ。支払いは Revolut。前日にマドリードで買ったベルナベウの席が433ユーロだったから、その70分の1だ。

街の真ん中にある、4,961人のスタジアム

エスタディオ・ムニシパル・デ・ポルティマン。クラブは「ポルティマン・エスタディオ」という商業名で呼んでいる。収容人数は4,961人。ポルティマン市が所有し、クラブと市が共同で運営している市営スタジアムだ。

1937年に開場した古い競技場で、2007年、2011年、2017年と改修を重ねてきた。2011年の工事では一時的に9,544人まで収容を増やしたが、その後また5,000人弱に戻している。2部のクラブにはそれで十分、という判断なのだろう。

場所は市の中心部。駅から歩いて15分ほどで、市街地の中にすっと収まっている。ヨーロッパの大きなスタジアムは郊外に建てられることが多いけれど、ここは街の生活圏の中にある。試合前に近所のカフェでガラオン(ミルクコーヒー)を飲んで、そのまま歩いてスタジアムに入る。そういう距離感だ。

スタンドは、ソシオ(会員)用のメインスタンドを除いて屋根がない。8月の午前11時、日差しはまっすぐ降ってくる。帽子は必須だった。

【写真:スタジアム外観/メインスタンドからの眺め】

白黒のストライプと、アルガルヴェの誇り

ポルティモネンセSCは1914年創設。白と黒の縦縞のユニフォームから「アルヴィネグロス(白黒)」と呼ばれる。もう一つの愛称は「マラファードス」。アルガルヴェの方言で「腕白な、手に負えない」といった意味の言葉だ。

クラブの歌は「Portimonense, Expoente Algarvio(ポルティモネンセ、アルガルヴェの旗手)」。歌詞の冒頭は「Portimonense, Expoente Algarvio / De valor e brio / Na competição!」。アルガルヴェ地方を代表するクラブであることが、そのままアイデンティティになっている。

クラブは2024年5月、昇降格プレーオフに敗れて1部から落ちた。2025-26シーズンは2部18チーム中15位。今季はリーガ・ポルトガル2 メウ・スーペル(18チーム、8月8日開幕、5月17日閉幕)の3年目になる。

「二つのポルティモネンセ」

ここからは、この街のクラブがいま抱えている問題を書く。旅ブログにしては重い話だけれど、このスタジアムに座っていた1,883人が何を背負って来ているのかを知らないと、この日の空気は伝わらないと思う。

ポルトガルのクラブには、「クルーベ(社団法人としてのクラブ)」と「SAD(プロ部門を運営する株式会社)」がある。ポルティモネンセの場合、SADの株の86%を、ブラジル人の元選手で代理人のテオドロ・フォンセカが持っている。1989年から日本に拠点を置いていた人で、ポルティモネンセに日本人選手が多かったのは、この人のルートだ。

一方で、クラブ側(会長フェルナンド・ロシャ)は、SADが育成の選手をほとんど使わないことに業を煮やして、2020-21シーズンに育成出身の選手だけでアマチュアのチームを作り、地区リーグから参戦させた。そのチームが2025年5月に地区1部で優勝して、4部(カンペオナート・デ・ポルトガル)に上がった。

その結果、2025-26シーズンのタッサ・デ・ポルトガル(国内カップ)には、「ポルティモネンセ」という同じ名前のチームが2つ登録された。2部のSADのチームと、4部のクラブのチーム。ポルトガルの記者が「奇妙なケース」と書き、ベレネンセスのように完全に分裂するのではないかと問われたロシャ会長は「その可能性は微塵もない」と否定している。

SADのほうは、もっと深刻だ。2025年10月と11月にFIFAから選手登録禁止処分。11月には給料2か月未払いで選手が練習をボイコット。12月にはFIFAが「クラブとSADは同一の主体」と見なして、4部のクラブ側のチームにも処分が波及した。SADの社長は「2013年のSAD設立以来、最も深刻な状況」と認めている。2026年5月には、フェルゲイラスというクラブが選手の移籍金52万ユーロの未払いを理由に破産申立て(SAD側は「実際の債務は9万ユーロ程度、残留争いの妨害だ」と反論)。7月末には5件のFIFA処分が有効なままで、登録できる選手が11人しかいない状態で開幕2週間前を迎え、7月31日に「全債務を支払った」と発表して処分が解除された。

そして、僕がこの試合を観た3週間後の9月21日、SADは再びFIFAの不履行リストに載った。3つの移籍ウィンドウで登録禁止。今度はエストニアのクラブへの未払いだという。SADは翌日「即日支払った」と発表している。

つまり、この街のクラブは、いつ止まってもおかしくない状態で、毎週土曜の朝に試合をしている。

試合:ロチェスの2発に沈む

相手はレイショエンス。ポルトの隣町マトジーニョスのクラブで、赤と白のユニフォーム。

前半39分、レイショエンスのロチェスが先制。後半76分にもロチェスが決めて、0-2。ポルティモネンセはこれがリーグ戦での今季初黒星だった。開幕3試合で勝ち点7を積んでいたところに、痛い敗戦。

試合終了間際の90+5分には、レイショエンス側のベンチ関係者が退場になる小さな騒ぎもあった。選手の退場はなし。主審はイアンク・ヴァシリカ。

観客は1,883人。収容率にして37%。数字だけ見ると寂しいが、実際に座っていると、そう感じない。小さなスタジアムだから、1,800人でも声が届く。選手の呼び合う声、ボールを蹴る音、コーチの指示。すべてが聞こえる距離で試合を観るのは、大きなスタジアムでは絶対にできない体験だ。

A列は最前列。ピッチとの間に柵と2mの通路があるだけで、コーナーキックのときは選手が目の前に来る。

周りは常連ばかりだった。僕の左隣には、80歳は超えているだろうおじいさんが一人で座っていて、ずっとポルトガル語で選手に指示を出していた。「もっと開け」「上げろ」。選手には聞こえていないはずだけれど、本人は監督のつもりなのだと思う。試合後に少し話をしたら、1970年代からここに通っているという。ポルティモネンセが1部にいた時代も、2部に落ちた年も、全部このスタンドで観ている。

「プロ野球の2軍」みたいな空気を想像していたら、まったく違った。ここにいる人たちにとって、これは「ポルティマンの試合」であって、リーグの格は関係ない。SADが誰のものかも、たぶん関係ない。給料が払われているかどうかも、この人たちには決められない。決められるのは、土曜の朝に来るかどうかだけで、来ている。街の名前を背負ったチームが、目の前で戦っている。それだけで十分に本気になれる。

印象に残った場面は、レイショエンスの2点目が入ったあと。スタジアムが静まり返った中で、僕の隣のおじいさんが立ち上がって、拍手をした。相手のゴールに、ではない。自分のチームの選手たちに向かって、「まだ終わってない」という意味の拍手だった。周りの何人かが、それに続いた。

2部リーグの試合は「つまらない」のか

正直に言うと、試合のクオリティは1部と比べれば落ちる。パスのスピードもトラップの精度も違う。

でも、僕がここで感じたのは、「サッカーを観る」という行為の原点みたいなものだった。

大きなクラブの試合は、スペクタクルとして完成されている。演出があり、音楽があり、巨大なスクリーンがある。それはそれで素晴らしい。ただ、ポルティマンの土曜の朝には、そういうものが何もない。あるのは、白黒の縦縞を着た22人と、ボールと、地元の人たちの声だけだ。

その「何もなさ」が、逆に贅沢だった。

そして、思ったことがもう一つある。ヨーロッパの小さな街にとって、クラブは「娯楽」ではなく「インフラ」に近い。人口6万人ほどの街の名前を、毎週末、国中のニュースが読み上げる。1部にいるかどうか、カップ戦で勝ち上がるかどうかで、街のホテルやバルの売り上げも変わる。だからSADが破産しかけても、クラブ側は自分たちで4部からもう一つのチームを立ち上げる。「ポルティモネンセ」という名前を、街から消さないためだ。

サッカーが文化だというのは、そういうことだと思う。誰かの持ち物ではなく、街の一部として、勝手に続いていく。

試合のあとはアラデ川へ

ポルティマンは、アラデ川の河口に開けた港町だ。人口は約6万3千人。かつては缶詰産業で栄えた街で、その工場跡がいまはポルティマン博物館になっている。2008年に開館し、2010年にヨーロッパ評議会の博物館賞を受賞している。

毎年8月上旬には、川沿いで「サルディーニャ祭り(Festival da Sardinha)」が開かれる。2026年は8月4日から9日まで、30回目の開催だった。焼いたイワシをパンに挟んで食べる、それだけの祭りが、2022年にはヨーロッパで最高の夏のフード・イベントに選ばれている。

僕が行った8月29日はもう祭りは終わっていたけれど、川沿いのレストランでは普通にイワシの炭火焼きが食べられる。試合が終わって、昼過ぎ。太陽が高い川沿いで、イワシとビール。

この日は、試合後にそのまま川沿いへ歩いて、「ドナ・バルカ」という名前だったと思う店で、イワシの炭火焼きを6匹と、ゆでたジャガイモと、サラダと、生ビール。全部で15ユーロもしなかった。チケットの6ユーロと合わせても、ベルナベウの席の20分の1で、土曜の午前と午後がまるごと埋まる。

そして車で10分のプライア・ダ・ローシャへ。約3kmの砂浜が、崖と岩に区切られながら続いている。

旅のメモ

  • チケット:一般は5ユーロ。クラブの公式サイト(BlueTicket)か、スタジアムの窓口で買える。試合当日は10時から前半終了まで窓口が開く。
  • アクセス:ポルティマン駅(アルガルヴェ線)から徒歩約15分。ラゴス〜ファロ間の普通列車が1日10本ほど。
  • 注意:メインスタンド以外は屋根がない。夏の午前中は帽子と日焼け止めを。
  • ついでに:アウトドローモ(アルガルヴェ国際サーキット)はF1ポルトガルGP(2020・2021年)の会場。MotoGPも毎年開催。