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メスタージャ最後の夏、ヤマルが2点決めて帰っていった

ヨーロッパで最も急なスタンドに座って、バルセロナの0-5を観た。「Lim go home」のプラカード、テンションの低いタクシー運転手、それでも歌う47,319人。バレンシアが抱えている諦めと絶望の話。

写真は近日追加
ラ・リーガ EA SPORTS ・ 第4節2026-09-06 16:15
バレンシアCF
0 – 5
FCバルセロナ
スタジアム
カンプ・デ・メスタージャ(バレンシア、スペイン)
観客数
47,319人
熱狂度
★★★★☆

「最後」という言葉に弱い

バレンシアCFは、2026-27シーズンを最後にメスタージャを離れる。2027年の夏、7万人収容の新スタジアム「ノウ・メスタージャ」に移転する。クラブは2026年7月の会員募集で、はっきりとそう書いている。

つまり、バルセロナがこのスタジアムに来るのは、これが最後の予定だった。バルサの公式サイトも「メスタージャへの最後の訪問になる見込み」と書いている。

「最後」という言葉に弱い僕は、この試合を絶対に観ると決めていた。

チケットは8月28日、バレンシア公式の販売サイトで買った。「アンフィテアトロ・ラテラル」の414ブロック、15列45番。196ユーロに手数料2.40ユーロで198.40ユーロ。

この8月28日という日は、僕にとって「大人買いの夜」だった。この日の夕方から夜にかけて、バレンシア対バルサ、翌日のエルチェ対ソシエダ、翌週のセビージャ対バレンシア、そして9月20日のポルト対ベンフィカと、4試合分のチケットを一気に買った。合計で1,000ユーロを超えたと思う。財布は痛いけれど、これで9月の週末の予定が全部埋まった。予定が埋まるというのは、自由がなくなることではなくて、自由の使い道が決まることだ。

1923年開場、ヨーロッパで最も急なスタンド

メスタージャは1923年5月20日、レバンテとの親善試合で開場した。最初の収容人数は17,000人。1950年代の大改修で一気に大きくなり、1957年のトゥリア川の洪水で被害を受け、1959年のファジャス(火祭り)に合わせて照明が入った。1982年のワールドカップではスペイン代表がここで3試合を戦った。

現在の収容人数は49,430人。スタンドの傾斜が異常に急で、上段は34〜35度。FIFAとUEFAが定める上限の37度に迫る角度で、「ヨーロッパで最も急なスタンド」と言われている。

実際に上段に座ると、これがよく分かる。前の人の頭が視界に入らない。ピッチを真上から見下ろすような感覚になる。逆に言えば、階段を上るのはそれなりに大変で、手すりを掴みながら降りることになる。

【写真:スタンドの傾斜が分かる写真/ピッチ全景】

住所はアベニーダ・デ・スエシア。メトロなら5号線のアラゴン駅か、3号線のファクルタッツ駅から歩く。

コウモリのクラブ

バレンシアのエンブレムにはコウモリがいる。1238年10月9日、ハイメ1世がバレンシアを征服する際、その旗にコウモリが止まったという伝説に由来する。愛称は「ロス・チェ」「エルス・タロンジェス(オレンジ色)」「ロス・ムルシエラゴス(コウモリ)」。

クラブの歌は1993年、創立75周年の時に作られたパソドブレで、バレンシア語の歌詞。サビは「アムント・バレンシア(進め、バレンシア)」。試合前、これが流れると、スタジアム全体が声を合わせる。

「Lim go home」

この日、メスタージャでいちばん多く目にした文字は、「アムント」でも「バルサ」でもなく、「Lim go home」だった。紙のプラカード、横断幕、Tシャツ。スタンドのあちこちにある。

2014年、シンガポールの実業家ピーター・リムが、投資会社メリトンを通じてクラブの株式の7割を買った。それから12年。2019年にコパ・デル・レイを獲ったあと、クラブはヨーロッパの舞台から少しずつ遠ざかり、2025-26シーズンはチャンピオンズリーグもヨーロッパリーグもカンファレンスリーグも逃した。2026年5月23日、前シーズン最終節のバルサ戦の日には、サポーター団体「リベルタVCF」の呼びかけで8,000人以上が市庁舎広場からメスタージャまでデモ行進をしている。オーナー本人がバレンシアの街に来たのは、2026年7月、約7年ぶりだった。

そして僕が観たこの試合の前には、ゴール裏の団体「クルバ・ノルド10」とリベルタVCFが「19分まで入場しない」と呼びかけていた。19は、クラブが生まれた1919年の19だ。往年の英雄ケンペスに至っては「直接行かないほうがいい。空のスタジアムでやらせろ」と言った。

つまり、この試合を観に来た47,319人は、「来るべきではない」と言われながら来た人たちだった。

タクシー運転手の腕のタトゥー

スタジアムに向かうタクシーの運転手は、左腕にバレンシアCFのエンブレム、コウモリのタトゥーを入れていた。筋金入りのファンだ。試合の日なのに、テンションは低かった。「今日は勝てない」と最初に言って、そのあとはずっと黙っていた。降りるときに「アムント」と言ってみたら、少し笑って、「アムント」と返してくれた。それだけだった。

僕はこの夏、いろいろなスタジアムで「熱狂」を観てきたけれど、メスタージャで観たのは、熱狂の反対側にあるものだった。諦めと、それでも来てしまう自分への、少しの怒り。

それでも、この日は47,319人が入った。ほぼ満員。「最後のバルサ戦」という言葉が、人を動かしたのだと思う。あるいは、「来るな」と言われても来てしまうのが、この街の人たちなのかもしれない。

試合:酷暑の午後、0-5

9月6日の日曜日、16時15分キックオフ。バルセロナの公式サイトは「酷暑の午後」と書いている。実際、日陰のない席は厳しかった。

414ブロックは、サイドスタンドの上段。メスタージャの上段は本当に急で、階段を上がりきったときに一瞬、足がすくむ。座ると、ピッチが真下に見える。

問題は太陽だった。16時15分のキックオフ、9月のバレンシア。僕の席は屋根の縁ぎりぎりで、前半の半分は直射日光の中だった。周りのおじさんたちは、慣れた手つきで新聞を広げて頭に乗せている。僕は帽子を忘れて、前半途中でスタジアムの売店に走った。バレンシアのロゴ入りキャップ、25ユーロ。これが今回の旅で一番高い帽子になった。

6分、ラミン・ヤマルが先制。フェルミン・ロペスのパスからだった。バレンシアは深く引いて守っていたが、6分もたなかった。

その直後、ヤマルのもう1点がオフサイドで取り消し。22分、フェルミン・ロペスが2点目。バレンシアのコルベラン監督は前半のうちに3人を交代させたが、流れは変わらない。

後半50分にラフィーニャ、79分にペドリ、84分にヤマルの2点目。VARの確認を経て認められた。終わってみれば0-5。バルサは開幕4連勝、4試合で17得点。単独首位に立った。

この試合でガブリエル・ジェズスがバルサでのデビューを果たし、ロドリが初先発した。

主審はイシドロ・ディアス・デ・メラ。

5点取られても、歌い続けた人たち

0-3になったあたりから、メスタージャの空気は変わった。怒りではない。諦めでもない。何かを見届けるような静けさ。

そして5点目が入ったあと、スタンドの一角から「アムント・バレンシア」が始まった。それがじわじわと広がって、試合終了の笛のときには、かなりの数の人が歌っていた。

僕はこういう瞬間のためにスタジアムに行っている、と思った。

0-5で負けた試合を、47,319人が最後まで観ている。100年以上使ってきたスタジアムを、来年手放す。その事実を受け止めながら、それでも歌う。

勝つことだけがサッカーの価値じゃない、と改めて思った。バレンシアの人たちにとって、メスタージャは「勝つ場所」ではなく「集まる場所」だったのだろう。

0-4になったあたりから、帰る人が出始めた。でも、思っていたより少なかった。大半の人は座ったまま、腕を組んで、ピッチを見ている。怒鳴る人もいない。プラカードを掲げ直す人もいない。ただ見ている。

「文化」という言葉を、僕はこの日まで軽く使っていたと思う。バレンシアの人たちにとって、このクラブは「応援するかどうかを選べるもの」ではない。オーナーが誰であろうと、0-5だろうと、来週も来る。「Lim go home」と書いた紙を持って、それでも「アムント・バレンシア」を歌う。この矛盾を、矛盾と感じないほど深く、クラブが生活に入り込んでいる。

サッカーが文化だというのは、勝っているときに盛り上がるということではない。負け続けても、オーナーを憎んでも、離れられないということだ。メスタージャで僕が観たのは、そういう人たちの背中だった。

この試合のあと

書いておかなければいけないのは、このあとの1か月だ。

5日後の9月11日、僕はセビージャでもう一度バレンシアを観た。0-1。その2日後の9月13日、クラブはコルベラン監督を解任した。5試合で勝ち点1、最下位。同時にフットボール部門のCEOも解任された。15日、暫定監督のもとでアウェイのアラベスに1-0で勝ち、ようやく今季初勝利。20日にはホームでソシエダに2-3。そして9月23日、ハビエル・アギーレが新監督に就任した。リム体制の12年で、14人目の監督だという。

9月23日時点で、バレンシアは7試合で1勝1分5敗、勝ち点4の19位。降格圏にいる。「バレンシア、大丈夫か」と、僕もセビージャの帰り道に思った。たぶん、街の人たちは12年間ずっとそう思っている。

ノウ・メスタージャは工事中

新スタジアムは市の北西、ベニカラップ地区に建設中だ。2025年1月に工事が再開され、6月には3億2,200万ユーロの資金調達を完了。2026年9月には屋根の吊り上げ工事が始まっている。設計はフェンウィック・イリバレン、屋根はシュライヒ・ベルガーマン。

移転後、いまのメスタージャがどうなるかは、僕には分からない。ただ、ヨーロッパで最も急なスタンドは、もうすぐ「かつてあったもの」になる。

バレンシアという街

パエリアは、この街の南にあるアルブフェラ湖の周辺で16世紀に生まれた。もともとはウサギ、インゲン豆、野菜で作る料理。シーフードのパエリアは後から来た。

トゥリア川は1957年の洪水のあとで流路を変え、旧河道は9kmの公園になった。「トゥリア庭園」。その終点に、サンティアゴ・カラトラバが設計した芸術科学都市がある。1998年に最初の建物が開館した。

試合前は、スタジアムから歩いて10分のアラゴン通りのバルで、オルチャタを飲んだ。試合後は、市場のそばの店でパエリアを食べようとして、日曜の夜はどこも満席で、結局トゥリア庭園のベンチでスーパーで買ったハモンとパンを食べた。0-5の夜に、公園でハモンをかじりながら、明日はエルチェだ、と思っていた。

旅のメモ

  • チケット:公式サイト(entradas.valenciacf.com)で一般販売あり。会員は1試合1枚10%引き。
  • アクセス:メトロ5号線アラゴン駅(最寄り)、または3号線ファクルタッツ駅。バスは10、32、71、80番。
  • 飲み物:オルチャタ(タイガーナッツの飲み物)とファルトン(細長い菓子パン)の組み合わせがバレンシアの定番。ファルトンは隣町アルボラヤ生まれ。
  • 注意:上段の傾斜は本当に急。足元に自信がない人は下段を。