観戦記スペインバレンシアラ・リーガバルセロナ佐藤龍之介

0-5でも歌う人たち。佐藤龍之介を観に行ったメスタージャで、「Lim go home」の意味を知った

日本人初のバレンシア1軍、佐藤龍之介を観に行った。ヨーロッパで最も急なスタンドから観たバルサの0-5。「Lim go home」のプラカード、コウモリのタトゥーを入れたタクシー運転手の沈黙。かつての強豪がいま何を抱えているのか、まだ日本に伝わっていない話。

0-5でも歌う人たち。佐藤龍之介を観に行ったメスタージャで、「Lim go home」の意味を知った
ラ・リーガ EA SPORTS ・ 第4節2026-09-06 16:15
バレンシアCF
0 - 5
FCバルセロナ
スタジアム
カンプ・デ・メスタージャ(バレンシア、スペイン)
観客数
47,319人
熱狂度
★★★★☆

佐藤龍之介を観に行く

この試合の目当ては、佐藤龍之介だった。

2026年7月、FC東京からバレンシアへ。移籍金は約400万ユーロ、契約は2031年まで。バレンシアCFの1軍でプレーする、史上初の日本人選手だ。19歳(この試合の時点。10月に20歳になった)。コルベラン監督は開幕戦のベティス戦から先発で使い、開幕4試合すべてに出場していた。

ただ、彼が来た場所は、日本で想像されているよりずっと難しい場所だった。それをこの記事で書きたい。

「最後」という言葉に弱い

バレンシアCFは、2026-27シーズンを最後にメスタージャを離れる。2027年の夏、7万人収容の新スタジアム「ノウ・メスタージャ」に移転する。クラブは2026年7月の会員募集で、はっきりとそう書いている。

つまり、バルセロナがこのスタジアムに来るのは、これが最後の予定だった。バルサの公式サイトも「メスタージャへの最後の訪問になる見込み」と書いている。

「最後」という言葉に弱い僕は、この試合を絶対に観ると決めていた。

チケットは8月28日、バレンシア公式の販売サイトで買った。「アンフィテアトロ・ラテラル」の414ブロック、15列45番。196ユーロに手数料2.40ユーロで198.40ユーロ。

この8月28日という日は、僕にとって「大人買いの夜」だった。この日の夕方から夜にかけて、バレンシア対バルサ、翌日のエルチェ対ソシエダ、翌週のセビージャ対バレンシア、そして9月20日のポルト対ベンフィカと、4試合分のチケットを一気に買った。合計で1,000ユーロを超えたと思う。財布は痛いけれど、これで9月の週末の予定が全部埋まった。予定が埋まるというのは、自由がなくなることではなくて、自由の使い道が決まることだ。

1923年開場、ヨーロッパで最も急なスタンド

メスタージャは1923年5月20日、レバンテとの親善試合で開場した。最初の収容人数は17,000人。1950年代の大改修で一気に大きくなり、1957年のトゥリア川の洪水で被害を受け、1959年のファジャス(火祭り)に合わせて照明が入った。1982年のワールドカップではスペイン代表がここで3試合を戦った。

現在の収容人数は49,430人。スタンドの傾斜が異常に急で、上段は34〜35度。FIFAとUEFAが定める上限の37度に迫る角度で、「ヨーロッパで最も急なスタンド」と言われている。

実際に上段に座ると、これがよく分かる。前の人の頭が視界に入らない。ピッチを真上から見下ろすような感覚になる。逆に言えば、階段を上るのはそれなりに大変で、手すりを掴みながら降りることになる。

住所はアベニーダ・デ・スエシア。メトロなら5号線のアラゴン駅か、3号線のファクルタッツ駅から歩く。

コウモリのクラブ

バレンシアのエンブレムにはコウモリがいる。1238年10月9日、ハイメ1世がバレンシアを征服する際、その旗にコウモリが止まったという伝説に由来する。愛称は「ロス・チェ」「エルス・タロンジェス(オレンジ色)」「ロス・ムルシエラゴス(コウモリ)」。

クラブの歌は1993年、創立75周年の時に作られたパソドブレで、バレンシア語の歌詞。サビは「アムント・バレンシア(進め、バレンシア)」。試合前、これが流れると、スタジアム全体が声を合わせる。

「Lim go home」

この日、メスタージャでいちばん多く目にした文字は、「アムント」でも「バルサ」でもなく、「Lim go home」だった。紙のプラカード、横断幕、Tシャツ。スタンドのあちこちにある。

2014年、シンガポールの実業家ピーター・リムが、投資会社メリトンを通じてクラブの株式の7割を買った。それから12年。2019年にコパ・デル・レイを獲ったあと、クラブはヨーロッパの舞台から少しずつ遠ざかり、2025-26シーズンはチャンピオンズリーグもヨーロッパリーグもカンファレンスリーグも逃した。2026年5月23日、前シーズン最終節のバルサ戦の日には、サポーター団体「リベルタVCF」の呼びかけで8,000人以上が市庁舎広場からメスタージャまでデモ行進をしている。オーナー本人がバレンシアの街に来たのは、2026年7月、約7年ぶりだった。

そして僕が観たこの試合の前には、ゴール裏の団体「クルバ・ノルド10」とリベルタVCFが「19分まで入場しない」と呼びかけていた。19は、クラブが生まれた1919年の19だ。往年の英雄ケンペスに至っては「直接行かないほうがいい。空のスタジアムでやらせろ」と言った。

つまり、この試合を観に来た47,319人は、「来るべきではない」と言われながら来た人たちだった。

タクシー運転手の腕のタトゥー

スタジアムに向かうタクシーの運転手は、左腕にバレンシアCFのエンブレム、コウモリのタトゥーを入れていた。筋金入りのファンだ。試合の日なのに、テンションは低かった。「今日は勝てない」と最初に言って、そのあとはずっと黙っていた。降りるときに「アムント」と言ってみたら、少し笑って、「アムント」と返してくれた。それだけだった。

僕はこの夏、いろいろなスタジアムで「熱狂」を観てきたけれど、メスタージャで観たのは、熱狂の反対側にあるものだった。諦めと、それでも来てしまう自分への、少しの怒り。

それでも、この日は47,319人が入った。ほぼ満員。「最後のバルサ戦」という言葉が、人を動かしたのだと思う。あるいは、「来るな」と言われても来てしまうのが、この街の人たちなのかもしれない。

試合:酷暑の午後、0-5

9月6日の日曜日、16時15分キックオフ。バルセロナの公式サイトは「酷暑の午後」と書いている。実際、日陰のない席は厳しかった。

414ブロックは、サイドスタンドの上段。メスタージャの上段は本当に急で、階段を上がりきったときに一瞬、足がすくむ。座ると、ピッチが真下に見える。この日はバレンシアの白いレプリカを着て行った。買ったばかりで、胸のコウモリがまだ硬い。

問題は太陽だった。16時15分のキックオフ、9月のバレンシア。僕の席は屋根の縁ぎりぎりで、前半の半分は直射日光の中だった。周りのおじさんたちは、慣れた手つきで新聞を広げて頭に乗せている。僕は帽子を忘れて、前半途中でスタジアムの売店に走った。バレンシアのロゴ入りキャップ、25ユーロ。これが今回の旅で一番高い帽子になった。

6分、ラミン・ヤマルが先制。フェルミン・ロペスのパスからだった。バレンシアは深く引いて守っていたが、6分もたなかった。

その直後、ヤマルのもう1点がオフサイドで取り消し。22分、フェルミン・ロペスが2点目。バレンシアのコルベラン監督は前半のうちに3人を交代させたが、流れは変わらない。

後半50分にラフィーニャ。0-3になった後半17分、ようやく佐藤龍之介がピッチに入った。この日はバレンシア加入後、初めてのベンチスタートだった。414ブロックの上段から見ると、19歳の背番号39は、まるでバルサの選手たちの間を走り回る小さな点だった。ボールに触る回数は少ない。でも、触ったときのファーストタッチだけは、他の選手と違う方向を向いていた。それだけで十分だと思った。

79分にペドリ、84分にヤマルの2点目。VARの確認を経て認められた。終わってみれば0-5。バルサは開幕4連勝、4試合で17得点。単独首位に立った。

この試合でガブリエル・ジェズスがバルサでのデビューを果たし、ロドリが初先発した。

主審はイシドロ・ディアス・デ・メラ。

5点取られても、歌い続けた人たち

0-3になったあたりから、メスタージャの空気は変わった。怒りではない。諦めでもない。何かを見届けるような静けさ。

そして5点目が入ったあと、スタンドの一角から「アムント・バレンシア」が始まった。それがじわじわと広がって、試合終了の笛のときには、かなりの数の人が歌っていた。

僕はこういう瞬間のためにスタジアムに行っている、と思った。

0-5で負けた試合を、47,319人が最後まで観ている。100年以上使ってきたスタジアムを、来年手放す。その事実を受け止めながら、それでも歌う。

勝つことだけがサッカーの価値じゃない、と改めて思った。バレンシアの人たちにとって、メスタージャは「勝つ場所」ではなく「集まる場所」だったのだろう。

0-4になったあたりから、帰る人が出始めた。でも、思っていたより少なかった。大半の人は座ったまま、腕を組んで、ピッチを見ている。怒鳴る人もいない。プラカードを掲げ直す人もいない。ただ見ている。

「文化」という言葉を、僕はこの日まで軽く使っていたと思う。バレンシアの人たちにとって、このクラブは「応援するかどうかを選べるもの」ではない。オーナーが誰であろうと、0-5だろうと、来週も来る。「Lim go home」と書いた紙を持って、それでも「アムント・バレンシア」を歌う。この矛盾を、矛盾と感じないほど深く、クラブが生活に入り込んでいる。

サッカーが文化だというのは、勝っているときに盛り上がるということではない。負け続けても、オーナーを憎んでも、離れられないということだ。メスタージャで僕が観たのは、そういう人たちの背中だった。

佐藤龍之介が来てしまった場所

ここからは、日本にまだあまり伝わっていない話を書く。

バレンシアCFは、本当はスペインの強豪だった。リーガ優勝6回、2000年と2001年にはチャンピオンズリーグ決勝に2年連続で進んだ。2004年にはリーガとUEFAカップの二冠。メスタージャは「スペインで一番怖いアウェイ」と言われていた。

それが、2014年にシンガポールの実業家ピーター・リムがクラブを買ってから、12年かけてゆっくり壊れていった。有望な選手は毎年売られ、監督は毎年変わり、新スタジアムの工事は16年間止まっていた。ファンがオーナーを「バッシングしている」という言い方は、たぶん軽すぎる。この街の人たちは、自分のクラブを「人質に取られている」と感じている。

佐藤龍之介は、そこに来た。クラブの戦略は「世界中のリーグから若い有望株を安く買って育てて売る」で、彼はその一人だ。コルベラン監督は彼を信じて使ったが、僕が観たこの試合を含めて5試合で勝ち点1、監督は解任された。後任のアギーレは、佐藤を一度も使っていない。10月24日の時点で5試合連続ベンチ外か出場なし。日本のメディアは「冬のレンタル移籍も選択肢」と書き始めている。

19歳で、海外に来て、最初の監督が1か月でクビになる。これは本人の力でどうにかなる話ではない。久保建英がレアル・マドリードに行った19歳のときも、似たことがあった。ただ、日本から観ている人には、「バレンシアで試合に出られない」という結果だけが届く。その背景に、12年分の街の怒りと、オーナーの経営と、監督交代のドミノがあることは、スペインにいないと分からない。

サッカーは、街の経済と生活そのものだ

もう一つ、日本との違いとして書いておきたいことがある。

バレンシアが、もし1部から2部に落ちたらどうなるか。

日本で言えば、Jリーグのチームが降格しても、街の人の生活はほぼ変わらない。でもここでは違う。メスタージャには毎試合4万5千人が入る。そのうち何千人かは海外から来ている。バルサ戦なら、ホテルは満室になり、バルは昼から満員になり、タクシーは空港とスタジアムを往復し続ける。2部に落ちれば、バルサもレアルも来ない。テレビの放映権料は数分の一になり、スポンサーは減り、ホテルの稼働率が下がる。

そして何より、街のプライドが傷つく。「バレンシア」という名前は、この街にとって、クラブの名前であると同時に、自分たちの名前だ。タクシーの運転手が黙っていたのは、チームが弱いからだけではない。自分の街の名前が、毎週、全国に「負けた」と読み上げられるからだ。

ヨーロッパでは、サッカーは娯楽ではなく、インフラだ。水道や電気と同じように、クラブが街の生活の下を流れている。だから8,000人がデモをするし、「Lim go home」の紙を持って、それでも0-5の試合を最後まで観る。この「生活とサッカーが分かちがたく結びついている」感じは、日本にいた頃の僕にはまったく想像がつかなかったものだった。

この試合のあと

書いておかなければいけないのは、このあとの1か月だ。

5日後の9月11日、僕はセビージャでもう一度バレンシアを観た。0-1。その2日後の9月13日、クラブはコルベラン監督を解任した。5試合で勝ち点1、最下位。同時にフットボール部門のCEOも解任された。15日、暫定監督のもとでアウェイのアラベスに1-0で勝ち、ようやく今季初勝利。20日にはホームでソシエダに2-3。そして9月23日、ハビエル・アギーレが新監督に就任した。リム体制の12年で、14人目の監督だという。

10月24日、ホームでビジャレアルに1-2。10試合で1勝3分6敗、勝ち点6の19位。降格圏にいる。「バレンシア、大丈夫か」と、僕もセビージャの帰り道に思った。たぶん、街の人たちは12年間ずっとそう思っている。

ノウ・メスタージャは工事中

新スタジアムは市の北西、ベニカラップ地区に建設中だ。2025年1月に工事が再開され、6月には3億2,200万ユーロの資金調達を完了。2026年9月には屋根の吊り上げ工事が始まっている。設計はフェンウィック・イリバレン、屋根はシュライヒ・ベルガーマン。

移転後、いまのメスタージャがどうなるかは、僕には分からない。ただ、ヨーロッパで最も急なスタンドは、もうすぐ「かつてあったもの」になる。

バレンシアという街

パエリアは、この街の南にあるアルブフェラ湖の周辺で16世紀に生まれた。もともとはウサギ、インゲン豆、野菜で作る料理。シーフードのパエリアは後から来た。

トゥリア川は1957年の洪水のあとで流路を変え、旧河道は9kmの公園になった。「トゥリア庭園」。その終点に、サンティアゴ・カラトラバが設計した芸術科学都市がある。1998年に最初の建物が開館した。

試合前は、スタジアムから歩いて10分のアラゴン通りのバルで、オルチャタを飲んだ。試合後は、市場のそばの店でパエリアを食べようとして、日曜の夜はどこも満席で、結局トゥリア庭園のベンチでスーパーで買ったハモンとパンを食べた。0-5の夜に、公園でハモンをかじりながら、明日はエルチェだ、と思っていた。

旅のメモ

  • チケット:公式サイト(entradas.valenciacf.com)で一般販売あり。会員は1試合1枚10%引き。
  • アクセス:メトロ5号線アラゴン駅(最寄り)、または3号線ファクルタッツ駅。バスは10、32、71、80番。
  • 飲み物:オルチャタ(タイガーナッツの飲み物)とファルトン(細長い菓子パン)の組み合わせがバレンシアの定番。ファルトンは隣町アルボラヤ生まれ。
  • 注意:上段の傾斜は本当に急。足元に自信がない人は下段を。