グラウンドホッピングスペインセビージャラ・リーガ

金曜夜のネルビオンで、セビージャの「百年の讃歌」を聴く

ヨーロッパ大陸で最も暑い街の、金曜21時。ラモン・サンチェス=ピスフアンで観たセビージャ対バレンシアは1-0。試合の前に鳴る歌のことを、どうしても書いておきたい。

写真は近日追加
ラ・リーガ EA SPORTS ・ 第5節2026-09-11 21:00
セビージャFC
1 – 0
バレンシアCF
スタジアム
エスタディオ・ラモン・サンチェス=ピスフアン(セビージャ、スペイン)
観客数
未確認
熱狂度
★★★★☆

ヨーロッパ大陸で最も暑い街

セビージャは、ヨーロッパ大陸の主要都市の中で最も暑い。7月と8月の平均最高気温は36度前後。1995年7月23日には46.6度を記録している。

9月11日の金曜、キックオフは21時。それでも日中は暑かった。オリャオンからセビージャまでは車で2時間半ほど。国境を越えて、グアダルキビル川の平野に入ると、空気の質が変わる。乾いていて、重い。

この日は車で、日帰り。金曜の午後にオリャオンを出て、21時キックオフ、試合後に2時間半走って深夜2時に帰宅した。無茶だけれど、翌週の週末はポルトだと決めていたので、宿代を節約した。

チケットは8月28日、セビージャFC公式のチケットサイトで買った。「大人買いの夜」の3枚目。席はホスピタリティ枠の「スカイ・ネルビオン」、18列90番。入口はHSP 2という専用ゲートだった。

「ネルビオンのボンボネーラ」

エスタディオ・ラモン・サンチェス=ピスフアンは1958年9月7日に開場した。設計は、ベルナベウとメスタージャも手がけたマヌエル・ムニョス・モナステリオ。工期は「22か月と6日」と、クラブの公式サイトに誇らしげに書いてある。

ネルビオン地区にあるので、「ラ・ボンボネーラ・デ・ネルビオン」と呼ばれる。ボンボネーラは、ブエノスアイレスのボカ・ジュニアーズのスタジアムの愛称でもある。箱のように四角く、スタンドが垂直に近く、音が逃げない。

収容人数は約43,000人。1982年のワールドカップに向けて改修され、その時にプレフェレンシア側の外壁に、サンティアゴ・デル・カンポによる巨大なモザイク画が設置された。2015年以降の改修で、座席は赤に統一され、外壁はLED照明つきの金属パネルで覆われた。

【写真:モザイク画のある外壁/夜のスタンド】

ここは歴史のある競技場だ。1982年ワールドカップの準決勝、西ドイツ対フランス(3-3、PK5-4)。1986年のチャンピオンズカップ決勝、ステアウア対バルセロナ(0-0、PK2-0)。2022年のヨーロッパリーグ決勝、フランクフルト対レンジャーズ。そしてスペイン代表は、1961年から2015年まで、このスタジアムで一度も負けていない。

試合の前に、歌がある

セビージャのサポーターには、ほかのクラブにないものがある。「エル・イムノ・デル・センテナリオ(百年の讃歌)」だ。

2005年、クラブの定款登録100周年を記念して、歌手のハビエル・ラバンドン(エル・アレバト)が作った。この曲はスペインのシングルチャートで1位になった。サッカークラブの歌が、ヒットチャートで1位。

試合前、選手がピッチに出てくると、この歌が流れる。スタジアム全体が立ち上がって歌う。僕はスペイン語の歌詞を全部は聞き取れないけれど、そんなことは関係ない。43,000人が同じメロディーを歌っている、その音の中に自分がいる。それだけで十分だった。

北ゴール裏の下段には「ビリス・ノルテ」がいる。1974-75シーズンに応援団体として生まれた組織で、名前はガンビア出身のFWビリ・ビリに由来する。彼らの声は、試合中ずっと止まらない。

僕の席はスカイ・ネルビオン、サイドスタンドの上のほうだ。それでもピッチまでの距離が、これまで観たどのスタジアムよりも近く感じる。ピスフアンは4万3千人入るのに、まるで2万人のスタジアムにいるみたいだ。「ボンボネーラ(ボンボン箱)」という愛称は誇張ではない。

そして、キックオフ前の讃歌。

セビージャの讃歌は、2000年、クラブ創設100周年のときに、ハビエル・ラボルデタという歌手が作った。2000年代のセビージャの黄金期(UEFAカップ連覇)と一緒に育った歌で、いまではキックオフ前に4万人が立ち上がって、右手を挙げて歌う。

僕は歌詞を知らない。それでも、4万人が同じ言葉を、同じ高さで、同じタイミングで歌うのを真ん中で聴くと、自分の中の何かが勝手に立ち上がる。宗教の集会に近い。実際、周りの何人かは泣いていた。バレンシア戦だ。決勝でも、ダービーでもない。それでも泣いている。

サッカーの試合で泣いている大人を、僕はこの夏、何度も見た。日本で、僕は大人が泣く場所をあまり知らない。ここでは、それが毎週末、街の真ん中で、堂々と用意されている。

試合:81分、フアン・イグレシアスの頭

セビージャ対バレンシア。5日前にメスタージャで0-5を観たばかりのバレンシアと、また会うことになった。

前半、セビージャが押す。スタッサンのヘディングがポスト。序盤にはスタッサンが倒された場面があり、クラブはPKだったと主張しているが、主審のマテオ・ブスケツ・フェレールは取らなかった。24分にタレガが負傷交代。

バレンシアにも見せ場はあった。オトルビのシュートがクロスバー。

そして81分。コチョラシヴィリのFKから、フアン・イグレシアスがヘディングで決めた。1-0。

セビージャの公式サイトは「最初から最後まで支配した」と総括している。少し身びいきかもしれないが、間違ってはいない。セビージャはこれで5試合で勝ち点10。バレンシアは5試合で勝ち点1。

監督はセビージャがルイス・ガルシア・プラサ、バレンシアがカルロス・コルベラン。この試合の後、コルベラン監督は解任され、ハビエル・アギーレが新監督に就任した。5日前のメスタージャで0-5、そしてこの1-0。僕は偶然、一人の監督の最後の2試合を観ていたことになる。

1点の重さ

0-5と1-0。同じ週に観た2試合で、1点の重さがまるで違った。

メスタージャの5点は、それぞれが「上手いなあ」という感嘆だった。ピスフアンの1点は、81分まで待った末の爆発だった。ゴールの瞬間、隣の人が知らない僕の肩を叩いてきた。

セビージャのファンは、ほんとうに熱くて、そして楽しい。それまで観た5試合の中で、スタンドが「楽しそう」だったのはここが一番だ。ポルトの熱さが「怒り」に近いとしたら、セビージャの熱さは「祭り」に近い。80分間、押しても押しても点が入らないのに、誰も不機嫌にならない。歌って、手拍子して、審判に文句を言って、また歌う。

81分のゴールで、隣の人が知らない僕の肩を叩いてきた。抱きついてくる人もいた。ゴールの瞬間だけ、国籍が消える。そのあと、僕はセビージャの人たちと一緒に、歌詞を知らない讃歌を口パクで歌った。

サッカーの熱狂は、得点の数ではなく、待った時間の長さに比例するのかもしれない。

セビージャの街

大聖堂とアルカサル、インディアス古文書館は1987年に世界遺産に登録された。川の西岸のトリアナ地区は、陶器とタイルの産地で、フラメンコの街。スペイン広場は1929年のイベロ・アメリカ博覧会のために建てられ、各県を描いたタイルの壁龕が並ぶ。「アラビアのロレンス」や「スター・ウォーズ エピソード2」の撮影に使われた場所でもある。

春のフェリア(4月祭)は1847年に始まり、聖週間の2週間後に開かれる。

試合前、スタジアムに向かうルイス・デ・モラレス通りのバルで、立ち飲みでクルサカンポ(セビージャのビール)とハモンのモンタディート(小さなパン)を2つ。全部で6ユーロくらい。バルの中はセビージャの赤白で埋まっていて、テレビでは前の試合のハイライトが流れていて、誰も座っていない。全員が立って、飲んで、叫んでいる。試合はまだ始まっていないのに、もう始まっている。

試合後は、深夜の高速をポルトガルに向けて走った。国境(グアディアナ川の橋)を越えたところで、時計は0時半。翌週はポルトだ。

旅のメモ

  • チケット:公式サイト(entradas.sevillafc.es)で一般販売。2025-26シーズンの例では、ゴール裏20ユーロ〜、フォンド30〜40ユーロ、プレフェレンシア50〜60ユーロ。ビッグクラブ戦は45ユーロ〜、80ユーロ〜と上がる。
  • アクセス:メトロ1号線ネルビオン駅(エドゥアルド・ダト通り)。サンタ・フスタ駅から徒歩12分ほど。
  • 試合前:ルイス・デ・モラレス通りがスタジアムへの「動脈」。バルが並ぶ。
  • 暑さ対策:9月でも日中は35度近くになる。夜の試合でも水は必須。