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ドラゴンで観たクラシコ、49,560人の「支配」

ポルト対ベンフィカ、3-1。控えめに言って最高だった。レッドカード、ベンチの乱闘、東スタンドのボックス席で観客同士の喧嘩に警察が介入。プライドとプライドの戦いを、収容率99%のドラゴンで観た夜。これこそがヨーロッパの「サッカーは文化」だ。

写真は近日追加
リーガ・ポルトガル・ベットクリック ・ 第7節(クラシコ)2026-09-20 20:30
FCポルト
3 – 1
SLベンフィカ
スタジアム
エスタディオ・ド・ドラゴン(ポルト、ポルトガル)
観客数
49,560人(収容率99%)
熱狂度
★★★★★

ポルトガルで一番大きな試合

ポルトガルには「オ・クラシコ」と呼ばれる試合がある。ベンフィカ対ポルト。リスボンとポルト、南と北、この国の二つの都市の対決だ。

9月20日、日曜の20時30分。会場はポルトのエスタディオ・ド・ドラゴン。この夏に観た試合の中で、僕が一番楽しみにしていた試合だった。

オリャオンからポルトまでは、車なら6時間、飛行機ならファロから1時間強。

今回は飛行機。土曜の朝にファロからポルトへ飛んで、クラウンプラザ・ポルトに2泊した。宿を押さえたのは8月28日の21時49分。チケットを買ってから、ちょうど30分後だ。

チケットは8月28日の夜、FCポルトの公式チケットサイト(bilhetes.fcporto.pt)で買った。「大人買いの夜」の4枚目。非会員は、まずFCポルトのアカウントを作って、メール認証をして、個人データの確認をして、それからやっと購入画面に進める。20時50分にアカウント作成、20時55分にメール認証、21時11分にチケット購入。20分の手続きだった。クラシコは会員優先枠が大きいので、一般枠で買えたのは運が良かった。

席は東スタンド(バンカーダ・ナセンテ)の「ブロンズ2」、11ブロック、30列。VIP扱いの枠で、確か300ユーロ前後だったと思う(購入メールに金額が残っていないので、記憶で書いている)。当日はウォレットに「アクセスカード」を入れて、ゲートでスキャンして入る。

ついでに白状しておくと、この試合の前に、FCポルトのオンラインストアで、韓国代表のファン・インボムのサイン入りユニフォーム(300ユーロ)と、今季のホームのユニフォーム(130ユーロ)を買ってしまった。ポルトのファンだから、ではない。ポルトガルに住んでいる僕にとって、ポルトのクラシコに自分の「持ち物」を持って行きたかったからだ。これは合理的な判断ではない。でもサッカーは合理性でやるものではない。

2003年、16歳のメッシがデビューした場所

エスタディオ・ド・ドラゴンは2003年11月16日に開場した。こけら落としはポルト対バルセロナの親善試合で、2-0。この試合で、バルセロナ側に16歳のリオネル・メッシが出場している。トップチームでの初出場だった。

設計はマヌエル・サルガード。建設費1億2,500万ユーロ。収容人数50,033人。UEFAのカテゴリー4。旧アンタス・スタジアムのすぐ隣に建てられ、外壁には21,000平方メートルのアズレージョ(装飾タイル)が使われている。

このスタジアムは、ヨーロッパの大きな試合をいくつも見てきた。2004年、ユーロの開幕戦はここで行われた。ポルトガル対ギリシャ、1-2。観客48,761人。この大会でギリシャが優勝することを、その時点で誰も知らなかった。

2021年5月29日にはチャンピオンズリーグ決勝、マンチェスター・シティ対チェルシー(0-1、ハヴァーツ)。コロナ禍でイスタンブールから会場が移り、観客は14,110人だった。

【写真:ドラゴンの外観/アズレージョの壁】

「ドラゴンたち」の歌

FCポルトの愛称は「ドラゴンイス(ドラゴンたち)」「アズイス・イ・ブランコス(青と白)」。クラブの歌は1922年、ヘイトル・カンポス・モンテイロの詞、アントニオ・フィゲイレド・イ・メロの曲。

ゴール裏の南スタンド(トポ・スル)には、二つのウルトラス組織がいる。1986年11月30日創設の「スーペル・ドラゴンイス」と、1995年7月6日創設の「コレクティーヴォ・ウルトラス95」。2020年の報道では、南スタンドの約5,100席のうち、スーペル・ドラゴンイスが約4,600席、コレクティーヴォが500席を使っていた。クラブは南スタンド上段を「特別な入場・滞在条件のあるゾーン」に指定し、7・8・9番ゲートから入る仕組みにしている。

試合:レッドカード、ベンチの乱闘、そしてボックス席の喧嘩

観客49,560人。収容率99.05%。ほぼ満員。

試合前、ゴール裏に巨大な横断幕が広がった。「supremacia」。支配。ポルトのサポーターが、この試合をどう位置づけているか、一語で分かる。

【写真:supremaciaの横断幕】

10分、ポルトのガブリ・ヴェイガに警告。25分、ベンフィカのレングレに警告。そして31分、ガブリ・ヴェイガが先制ゴール。ドラゴンが爆発した。

35分、レングレがアンドレ・シウバの顔に手を出して2枚目の警告、退場。ベンフィカは前半のうちに10人になった。クラシコの歴史で、ベンフィカの選手が最も早く退場した試合だという。その直後、両チームのベンチ前で選手とスタッフが入り乱れる乱闘騒ぎ。ベンフィカのアシスタントコーチ、リカルド・ロシャと、ポルトのチームマネージャー、ルイ・コレイアが揃って退席処分になった。翌日、ポルトは「ベンフィカのベンチの振る舞い」の映像を公式に公開し、ベンフィカは「ごく普通のこと」という皮肉なタイトルで判定8場面の動画を出して応酬している。試合が終わっても、まだ試合をしている。

後半51分、ベンフィカのバーが同点ゴール。10人でも諦めない。ドラゴンが一瞬、静かになった。

でもそこからはポルトだった。54分、フロホルト。60分、ファン・インボム。3-1。フロホルトはこの試合、パス14本中14本を成功させ、今節のリーグMVPに選ばれた。

主審はミゲル・ノゲイラ、VARはルイス・フェレイラ。監督はポルトがフランチェスコ・ファリオーリ、ベンフィカがマルコ・シウバ。

ポルトはこれで開幕7連勝、勝ち点21。2位のベンフィカに5点差、スポルティングに6点差をつけた。ベンフィカは今季リーグ初黒星。

この試合ではサムーが約7か月ぶりに実戦復帰し、ピエトゥシェフスキも戻ってきた。ポルトの公式サイトは「特別な夜だった」と書いている。

東スタンド、30列。上段の中ほどで、ピッチ全体と、反対側の南スタンドのウルトラスが正面に見える。座席は青。スタジアムに入って最初に見たのは、南スタンドがすでに立っていて、キックオフの40分前から歌っているところだった。

31分、ガブリ・ヴェイガのゴールが入ったときの音は、僕の人生で聴いた中で一番大きかった。音というより、圧力だった。隣の男性が僕を抱きしめて、その隣の男性も抱きしめてきて、3人で跳ねた。誰が誰なのか、もう分からない。そして35分、レングレが退場になった瞬間、僕の周りは全員がもう一度立ち上がった。ゴールではない。相手の退場だ。それでもスタジアムが揺れた。

そして後半、僕がいた東スタンドで、観客同士の喧嘩が始まった。

ボックス席の区画に、ベンフィカの同点ゴール(51分)を祝った人たちがいた。ホームのスタンドで、だ。周りのポルトのサポーターがそれに反応して、フロホルトが2-1にした瞬間、仕切りのバリアを越えようとした。ペットボトルが飛び、警察(PSP)が入ってきて、ようやく収まった。僕の席から、その一部始終が見えた。ベンフィカのゴールを祝った側には、小さな子どもを連れた家族もいたという(当事者のSNSでの証言なので、僕には確認できない)。

ピッチの上でも、終盤にサムーがベンフィカのバーに手を出して両軍が入り乱れ、アディショナルタイムにはガブリ・ヴェイガがベンフィカのベンチの方向にボトルを投げた。試合後にはルイ・コスタ会長が「懲戒基準の甚だしい二重性」と審判を批判して、翌日のサッカー協会のガラを欠席し、9月23日にはベンフィカが懲戒委員会に申立てをして、ドラゴンのスタジアム使用禁止まで要求している。

選手も、コーチも、会長も、観客も、全員が喧嘩をしている。これをどう受け止めるかで、その人のサッカー観が分かると思う。僕は、控えめに言って最高だった。マジで、プライドとプライドの戦いだった。

ポルトの2点目が入ったとき、僕の前の列の少年(たぶん8歳くらい)が、父親の肩の上に乗って、両手を空に伸ばして叫んでいた。父親はその足を握って、自分も叫んでいた。あの少年は、40年後もこのスタジアムに来ていると思う。そしてそのとき、彼の肩の上には、たぶん自分の子どもが乗っている。

試合後、メトロの駅に向かう道は、青と白の川だった。誰かがクラブの歌を歌い始めて、それが駅のホームまで続いた。列車の中でも続いた。トリンダーデ駅で降りたときも、まだ続いていた。

熱狂の正体

この夏に観た8試合の中で、一番の熱狂はここだった。

理由を考えてみた。

一つは、相手がベンフィカだということ。ポルトの人たちにとって、ベンフィカは「首都のクラブ」で、「お金のクラブ」で、「南のクラブ」だ。この対抗心は、サッカーの枠を超えている。

もう一つは、スタジアムの構造。ドラゴンはスタンドがピッチに近く、屋根が音を跳ね返す。49,560人の声が、そのまま自分の体に返ってくる。

そして、開幕7連勝という状況。「supremacia」という言葉は、ただの挑発ではなく、事実に裏打ちされていた。

熱狂には条件がある。ライバル、構造、そして根拠。この三つがそろった夜に、僕は居合わせた。

そしてもう一つ。ポルトでベンフィカのシャツを着て歩いたら、本当に囲まれる。これは冗談ではない。この日のアウェイのサポーター約2,500人は、ボンジョイアの駐車場から警察の護衛つきで集団で入場している。1月のカップ戦のクラシコでは、アウェイ席に入るベンフィカのサポーターが濡れた床で靴を脱がされて、ベンフィカが「屈辱が目的だ」と協会に正式抗議した。ホームのスタンドで相手のゴールを祝ったらどうなるかは、この日、僕の目の前で起きたとおりだ。

日本にいた頃、僕は「サッカーは文化だ」という言葉を、いい意味でしか使っていなかった。ヨーロッパに住んでみると、文化というのはもっと生々しい。街の名前を背負って、隣の街を本気で嫌い、勝った翌日には会社でも学校でも市場でもその話しかしない。街の経済も動く。クラブが1部にいるかどうか、チャンピオンズリーグに出るかどうかで、ホテルの稼働率も、バルの売り上げも、スポンサーの看板も変わる。この夏に観たポルティマンでは、クラブが破産しかけている。バレンシアでは、オーナーへの怒りで街が疲れている。

本当に、生活の中にフットボールがある。それを一番濃い形で観られるのが、ポルトのクラシコだった。

ポルトの街

ポルトの歴史地区は1996年に世界遺産に登録された。ドン・ルイス1世橋(1886年開通、テオフィル・セイリグ設計、アーチ172m)を渡った対岸のヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアには、ポートワインのセラーが並ぶ。ドウロ川上流のワイン産地は1756年に世界で初めて法的に区画された。

名物はフランセジーニャ。パン、肉、チーズ、トマトとビールのソース。1953年にボンジャルディン通りの「ア・レガレイラ」で生まれた。

試合前は、スタジアムから離れて、ボリャオン市場の近くの「カフェ・サンティアゴ」でフランセジーニャ。ソースが辛くて、ビールが進む。1人前で腹がいっぱいになる。試合後は、リベイラの川沿いで、ポートワインのトニックを1杯。日曜の深夜0時、ドン・ルイス1世橋の下で、まだ誰かが歌っていた。

旅のメモ

  • アクセス:メトロ「エスタディオ・ド・ドラゴン」駅。A・B・E線の終点で、F線も止まる。空港からE線で直通。2004年6月5日開業。
  • チケット:非会員は bilhetes.fcporto.pt でアカウント登録のうえ購入。「アクセスカード」をスマートフォンのウォレットに入れて、ゲートでスキャンする方式。クラシコは会員優先で、一般枠は少ない。
  • 博物館:「ムゼウ・ド・FCポルト by BMG」は2013年開館。博物館+スタジアムツアーは大人20ユーロ。試合日と欧州戦の前日はツアー休止。
  • 注意:南スタンド上段はウルトラスの区域。落ち着いて観たいなら東西のスタンドを。